当ブログにようこそ!アメリカ在住のbee(セレナ)の個人日記ブログです。『宇宙の法則』やマインドフルネス・コーチング、お悩み相談もしています。

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期待しない 【ベッツィーホテルで受け取った言葉】 


マイアミのサウスビーチにあるオーシャンドライブには、
なんとも可愛らしいレトロな
アールデコのホテルが並んでいる。


先日、何年ぶりかで訪れてみたら、
パンデミックの影響もあったのか、
通りは車の進入禁止になっていて、

各ホテルが屋外レストラン・カフェを
車道まで拡大させて、
ほどほどに賑わいながら、
延々と並んでいた。

楽しく散歩を続けていくと、
ベッツィ・ホテルに辿りつく。

白くエレガントなホテルのフロントポーチが
カフェ席になっていて、
朝陽を浴びながら食事を楽しんでいる人たちが見えた。
オペラ音楽がかかっている。

私たちも、
火照った体を涼めるために日陰席に座り、
私はアイスティをオーダーした。

ハリケーンやパンデミック、
そして時代が移り変わる中で、
1942年に設立されたこの美しいアート・デコホテルが、
こんなに涼し気な顔をして、
他のホテルのように
屋外カフェを道路に拡大させることもなく、
無二の存在であるかのように
堂々としているのは、
コロニアル風のシックな外観を見ただけで納得できる。

同じくオーシャンドライブを
南下したところにある
The Tidesというホテルが
私は昔、大好きだった。

子供が生まれる前だから、
もう⒛年近く前になるけれど(*_*)
当時ハリソン・フォードが主演した映画の中に、
ちらりと出てくる。

サックス・フィフス・アヴェニューの
高級デパートで働く妻が
出張に行ったと思っていたのに、
実はここで不倫していたのだ。
ハリソン・フォードは妻の形跡を追うようにして、
妻の不倫相手の妻と一緒にやって来た。
妻の情事の現場を、その目で確かめるために。

白いホテルで、
エントランス前のテラスには
同じく白いパラソルが並んだカフェ。
フロントにも白を貴重としたシンプルで美しいバーがあり
ゲストルームもまた真っ白のモダンミニマリズムが美しい。

窓から見えるのは、
真っ青なサウスビーチの海!!

それを映画で見たときに、
北部に住んでいた私は、
行きたい!行きたい!と騒ぎだして、
元夫と一緒に遊びに来た。

大人気のホテルだったものの
数年前のハリケーンイルマの被害から立ち直れず
生命が断たれてしまったらしい。
まさに、死んだような容貌になっていて
驚愕したし、悲しかった。

その後、
再び訪れて泊まった別のホテルは
どこもそれなりに
生き延びているように見えるけれど

好きだったレストランや店のいくつかは
潰れていた。

ジャンニ・ベルサーチが住んでいた豪邸も、
すぐ傍にある。
私たちが最初に訪れたときには
すでに射殺されていて、
自宅は空っぽのままだった。
今はレストランになっている。

射殺される直前に
雑誌とカフェを買っていたという
ニュースカフェも潰れていた。

話はずいぶんとそれてしまったけれど、
ベッツィホテルでオーダーした
アイスティの下に敷かれていたコースターに
こんな言葉が書いてあった。

Expect no more,
This is happiness.

私なりに訳すと、

期待は手放す。
今が十分に幸せなのだから。

今の私のモットーでもあるので、
とても心に響いてしまった。

べつに、
期待をしない方がいいとか、
願わない方がいいとか
ということではない。

ただ、今の私は
何か期待をしようとすると
自己が指揮をとりたがって
本当の自分と離れてしまう気がするし、、

もっと手放しを徹底させたい。

なぜなら、
マインドフルネスな過ごし方や
宇宙の法則の最高レベルである
無条件の愛の波動を心すると、
どうしたって、手放しが必要となるから。


『手放すことは』は、人生の流れに逆らうよりは、
それに身を任せるという、
シンプルでありながらとても奥の深い「知恵」なのです。
人生の流れを実感できる場所は、
「今、この瞬間」しかありません。
「手放すこと」は、「いま、この瞬間」を、
なんの不安も抱かずに、無条件に受け入れることです。
「すでにそうであるもの」に対する心の抵抗を、
捨て去ることなのです。
さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」より

叶った世界にいても、
ずっとそこに留まったままでは、
さらに上昇することはできない。
すべては変化しているのだから、
自分自身だってどんどん導かれないと。
でも、皮肉なことに、そのためには、
上昇したい!という焦りではなく、
今の満足感がキーとなる。

なかなか難しいけど。。(;'∀')

ちなみにこれは、
ベッツィーホテルの経営者の父親が他界した後で
財布の中から見つかった紙に
走り書きされていた言葉だそうだ。

末期癌を患っていたということで、
きっと辛かったに違いない。
そんな中で、
その言葉を何度も目にしていたのかと思うと、
ちょっと、でジーンとしてしまう。